蓮花[Hasuhana]blog

日常に溢れる真理。

誰かのためにではなく、まず自分のために生きる。

誰かが喜ぶからと

行動すると…

 

相手が喜びの表現や

感謝をしなかった時

 

私はこんなことをしてあげたのに

こんなに頑張ってるのに、

こんなに尽くしているのに、

と恨み節が出る。

 

自己犠牲の上でやっているため

見返りを求めてしまうのだ。

 

本当に何の見返りも求めず、

自己犠牲ではなく、

ただしたかっただけ、

愛だけの行動であったなら

決して出てこないもの。

 

 

例えば

これはあの人にきっと似合う♪と

プレゼントをしたり、

 

あの人の好物だったよね♪と

手土産を持って行ったり

贈り物したり

 

ただしたいから  したのなら、

渡して完了となる。

 

それ以上も以下もなく、

万が一お礼の連絡がなかったとしても

腹をたてることはあり得ないのだ。

 

なぜなら

自分がしたいと思った事を“ただ”した。

行動したことで完了しているからである。

 

ありがちなパターンとして

彼氏が相手なら

かいがいしく料理をしたり、

お化粧やお洒落をする。

 

彼を喜ばせたいから料理をする

彼にもっと好かれたいからお化粧する

彼に可愛いと思われたいからお洒落するだと

 

美味しいと言ってもらえないと

口に合わなかったのかな?とか、

せっかく頑張って作ったんだから、ありがとうとか、美味しいとか言わないの?となり、

 

お化粧やファッションも、可愛いと言ってもらえないけど、好みじゃないのかな?これじゃダメなのかな?他の子の方が可愛いって思ってる?となる。

 

これらはすべて

承認欲求を自分以外の誰かに

満たしてもらうための行動。

  

その誰かが望んだ通りの反応をしてくれなければ不安や不満を生み、相手を攻撃するか、自分の何がいけなかったのかと自己否定に走る。

 

そして

もっと喜んでもらうために

もっと好きになってもらうために

 「自分ではない自分」になろうとする。

 

その行動は 本当の自分から遠ざけることになってしまう。

 

誰かの役に立ちたいという想いは、

魂が持っている根源的なものであるため、本来なら自然な事ではあるものの、

 

「誰かのため」で起こす行動はエゴを満たすためであり、結局のところ自分の饑餓感を満たすために相手を利用しているに過ぎない。

 

誰かを満たすではなく、

まずは自分を満たすこと。

 

「〜してはならない」「〜ねばらない」の思考の枠に氣づき認め解放し、根底にある欲求に寄り添った行動をする。

  

満たされていない自分を誤魔化し、

誰かに奉仕することで余裕のある素敵な自分を演出しない。

 

満たされていない事実から目をそらしている限り、その無限ループからは永遠に抜けられないのだから。

 

すべての人類において例外なく、

自分を満たせるのは自分だけであり、

目の前の世界を変えたければ

内側に目を向けるしかない。

 

世界の恵まれない子どもたちを何とかしたいのは、放置されてきた自分の魂が自分にSOSを発信しているから。

 

自分を満たさずして誰かを救おうとするのは、大きな重りを持って溺れている人を助けに海に入り、一緒に溺れる(共依存)のと同じこと。

 

本当に誰かの役に立ちたいのなら、

自分の内側に集中すること。

 

自分の内側が満たされ溢れてはじめて

他者はその豊かさに触れることができるのだ。

 

溜息をつくと不幸になる?

昔はよく言われた言葉だが、

最近も言うのだろうか。

 

 

溜息とは言葉通り

溜めた息。

 

涙や感情、排泄と同じであり、

溜め込むと病の元になる。

 

息を吐き切れていないということは

深呼吸ができていない証拠。

 

深呼吸が出来ていないと

心身ともに緊張した状態が続き循環ができないため、ストレスが溜まり物事も上手くいかない。

 

 

吐いて、吸うだけのことの様に

思うかもしれない。

 

だが呼吸は循環を生むもの。

 

神聖なるエネルギーを細胞の隅々まで巡らせ、不要なエネルギーを排出しクリアリングする。

 

〜すべき、〜しなければなどの

3次元的な思考のパニック状態は

 

両手がいっぱいで新たにモノを

受け取ろうにも受け取れないように

 

高次元のエネルギーは常に注がれているが、こちらの準備が出来ていなければ受け取ることができない。

 

深呼吸はこのうるさい思考を黙らせる。

蓋をするのとは意味が違い、感情の抑圧がない。

 

思考を黙らせ落ち着きを取り戻せば

内なる自分との対話の準備が整う。

 

高次の意識とのズレを整え、

必要なメッセージを受け取る。

 

溜息をつくと不幸になるどころか、

豊かさに導く儀式である。

 

溜息が出たなら

止めずに 吐き切ること。

 

吐き切れば、放っておいても

たっぷりの息を吸う。

 

お金があっても無くても

時間があっても無くても

誰が居ても居なくても

どこにいても

誰にでもできる

何の道具も技術も要らない。

 

 

でももし

ゆっくりできるなら

 

コップ一杯の新鮮なお水を飲み、

携帯やテレビの電源を切り、

居心地よい場所に座り、

リラックスして姿勢を整え

目を閉じ、深呼吸をしよう。

 

 

あれやこれやする前に

まずはここから。

 

【告知】お茶会

元スピリチュアルジプシー代表と言っても過言ではない私が、常日頃 腹立たしく感じていることがある。

 

それは

宇宙の真理を紐解くあらゆる視点の知識を持っているにも関わらず、それでも飽き足らず際限なく目新しいメソッドを求め、その知識を使わない人が余りにも多いということ。

 

でも実は周りの人たちに向けて発せられたこの怒りの正体は、他でもない自分自身に向けられたもの。

 

知識は使わなければ ただの知識。

 

例えセミナーやメソッドの講習に

何百万円かけていたとしても、

買って使わない健康グッズと同じ、

 

使わないのなら

塵(ゴミ)である。

 

蓄えてきた知識を使い、

叡智とするかは

 

やるか、やらないか

ここにかかっている。

 

 

例え神でも、キリストでも

誰も誰かのことを変えられない。

 

理(ことわり)を説くことはできても、

変えることはできない。

 

変えることが出来るのは

宇宙でたった1人、自分だけである。

 

自分で自分の人生を生きる、

“生ききる”と決めること。

 

これに尽きる。

 

そしてそれを

頭(思考=顕在意識)ではなく、

肚(心=潜在意識)で決めるのだ。

 

どんな状況にあっても、

やるか、やらないか。

 

決める。

 

そして行動する。

 

 

でも

ひとりで頑張らなくていい。

 

 

自分と向き合うことは

決して容易くないこと。

 

だから人の助けを “ちゃんと” 借りる。

 

自分で出来ないところは、

出来る人の助けを

“ちゃんと” 借りるのだ。

 

自分でやるところは

自分でやる。

 

頑張るところと

頑張らないところを知る。

 

頑張り方を間違えないこと。

 

 

スピリチュアルを

妄想では終わらせない。

 

誰しも生まれたからには

自分だけの至福を味わうことが使命である。

 

使命とは本来の自分を取り戻し、

誰かになろうとするのでなく、

ありのままの自分で生きること。

 

苦労して生傷だらけで身も心もボロボロになりながら、犠牲を払い何かを成し遂げるのではなく

 

持って生まれた魂の輝きを放ち、日常において魂の悦びを選びぬき、奥底から溢れるような豊かさを味わうこと。

 

特別な何かでしか満たせない自分が如何に不足だらけの人生を生きているのか、視点が変わる喜びを体感して頂きたい。

 

トークは綺麗ごと一切無し。

 

でも優雅に参りましょう。

 

会場はリッツカールトン大阪。
1テーブルでゆっくりお話が出来るよう、参加人数は限定3~5名様。


お洒落をして一緒に楽しみましょう。


【日 時】11月11日(金)11時~16時
【場 所】リッツカールトン大阪

                   1F ロビーラウンジ
【人 数】(女性限定)最大5名様
【参加費】15,000円  ※事前お振込

アフタヌーンティ代込み)

 

https://www.ritz-carlton.co.jp/restaurant/lounge/menu/

 

【問合せ&お申込】odeko.dekopon1501@gmail.comまで

※その他詳細は、お申込後直接メッセージにてご案内させて頂きます。

「自分を愛する」ではまった罠

自分のために、

自分が喜ぶことをしてあげる。

自分の内側は自分で満たす。

 

食べることが大好きで、

美味しい料理を食べることが喜びの私は、

 

折に触れ鉄板焼きのフルコースを食べたり、ホテルのフレンチを食べたり、お金が無くても日頃食べるランチで贅沢する機会を自分に与えていた。

  

食べた瞬間はすごく美味しくて

うれしくて満足する。

 

だが、、、

満たされた感覚はその直後の帰り道で

消えていくことに氣がついた。

 

こんなに贅沢に、食べたいものを食べているのになぜ?私は何が不服で、どうしたら満足する?

 

と疑問に思った。

 

 

その理由は

 

 

大好きな食べることだけど、

 

「こんなに高いコースを自分に与えられている私って凄いでしょ。」

 

起点となる感情がここにあったから。

 

食事ですら

“凄い自分を演出する”外側から満たすための道具にしかなっていなかったのである。

 

さらに…

 

本当はローンがあるため経済的に厳しく、こんな贅沢など出来ない現状。

 

なのに

「こんなに高価なものにポンとお金を払える私ってすごいでしょ」が起点の大きな買い物。

 

お店の人はヨイショする。それが一瞬であっても“私を認めてくれている”と錯覚させる。

 

確かに一瞬満たされる。

でも一瞬で消える。

 

本当に欲しくて買ったわけではない物で満たされるはずもなく、更に窮地においやられていた。

 

我慢の日々。

 

 

高価な食事の数々は、

「本当の私はこういうものが好きで、こういうものが相応しい」と、現実逃避させるものだった。

 

 

自分を愛する行動をしているはずなのに、ちっとも満たされない。

 

目の前の現実は

何も変わらないどころか

益々苦しくなる。

 

私の行動の何が悪いのか分からず

混乱していた。

 

見えてしまえば

こんなに簡単なトリック。

 

 

何もかも上手くまわっていない。

人より抜きん出るものが無く、

仕事も恋愛も苦しいばかり。

 

お金もない、

時間もない、

親孝行もできない、

感謝もできない、

結婚もできない、

“情けない自分”を、

どうしても認めたくなかったのだ。

 

だから息切れするまで頑張って、

時々“ご褒美”という贅沢をさせることで、そんな自分こそが幻だと錯覚させ、

また同じパターンを繰り返す。

 

この事実に目を向け、

絶望するのがこわいのだ。

 

掛けてきた努力と時間

人生のすべてが無駄だったと、

深く深く…立ち直れない程に

絶望してしまうから。

 

だが事実をありのまま認め、

受け容れ、絶望しないから、
意に添わない“そこ”に

縛られたままなのだ。

 

そこに氣がつかない。

 

ただ明らめ受け容れる。

シンプルで、してみれば

何てことない事なのにしない。

 

何もダメではないのに、

自分が勝手にそう思う。

 

それらは幼少期から今日までに無意識に刷り込まれた観念・常識という(エゴ)の仕業。

 

例えば

・私はいま◯◯◯万円の借金がある

・私は無職だ

・私は独身だ

・私は子どもがいる

 

などは、「私は女(男)である」と同等の事実なのだけど、ここにジャッジが入ると事実だけをきちんと見られなくなる。

 

・私はいま借金が◯◯◯万円あるから生活は苦しく、貯金もなく情けない。


・私は仕事が無いから無能で、誰からも認められない。


・私は独身だから、どこか欠陥があり選んでもらえていない。

 

・私は子どもがいるから好きなことが出来ない。

 

と、こうなる。

 

 

【事実+感情=自己否定】

 

しかも責めているのは

自分自身なのである。

 

だから前に進めないし、

万が一進んでも頑張る方向を間違える。

 

評価を変えるために頑張れば、

評価が変わっていない自分に出会う。

 

お金を稼いで凄い人になろうと頑張れば

お金を稼げない自分に出会う。

 

 

「無い」と思っているから

外側に求めるのだが、

 

「無い」と思い込んでいるから、

「無い」が現実世界に起こる。

 

 

思っていることは

そのまま現実になる。

 

引き寄せは「思考」ではなく、

「潜在意識」が起こすもの。

 

だから

肚の底で自己否定しているのなら、どんなに頭で私は素晴らしいと考えても、どんなに素敵なものを買い与えても、罪悪感を引き出す出来事が起こる。(誰かに責められるとか批判されるなど)

 

 

行動を起こす「感情の起点」はどこか。

 

誰かの評価を気にしているなら

歩みを止める。

 

やった先にはこんなことが待ってるかも!?と期待するなら、これもまた歩みを止める。

 

愛は先だしジャンケンなのだから。

出す方が先。

 

これ好き!やりたい!楽しそう!ワクワクする!なら、ただやる。

 

 

 

行動すれば

自分の観念に気づけるだろう。

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観念はいわば積み重ねてきた習慣。

習慣はいくらでも変えられる。

 

その枠は世間が創っていると思わせて、

本当は自分が創っている枠でしかない。

 

善悪が頭に浮かんだら

善悪は幻想だと思い出し、

 

誰に遠慮することなく

“自分がしあわせになる方”を選ぼう。

 

 

それが「自分を愛する」はじまり。

 

 

その資格は何のため?

あなたの持っているその資格、

何のために取ったものだろうか。

 

「始めた動機」

 

ゴールで何が手に入るかはここ肝がになる。

 

もし

「自分にはまだ足りないものがある。

それを埋めるためにこの資格を取らなければ。。」

 

このように不足を埋める、

つまり“自己価値を高めるため”が動機だったなら

 

ゴールは

自己価値の低い自分との対面となる。

 

 

この“足りない”は

誰かと比較するゆえに生まれるもの。

 

自分が◯◯を始めるにはまだ知識・技量など(◯◯さんに比べたら)足りない。

 

しかし、この足りない の

本当の意味は…

知識でも技術でもなく、

 

「満たされない心」を意味している。

 

 

この“足りない”を埋めるがスタートだとすれば、資格を取得したとしても、あれが足りない、これが足りないと際限なく次の資格取得に励むだろう。

 

そして取得した資格を活用出来ない自分にまた絶望する。

 

自己価値の低さを更に上書きすることになる。

 

エゴの罠は巧妙なので、心が満たされていないことに氣づかせないよう

 

技術・知識が足りてないと思い込ませ、資格取得するよう外側に意識を向けさせようとする。

 

罠にはまっている間というのは、不思議なことに満たされていない事実に氣づけないよう、フィルターがかかった状態になる。

 

 

氣づくまで

わからない。

 

 

誰かと比べ「相手を上げる行為は、同時に自分を下げること」にも繋がり兼ねないので、誰かに対して尊敬の念を抱いた時は要注意だ。

 

 

相手は素晴らしい、

そして自分も素晴らしい

 

このベースがあってこそ、真っ当なコミュニケーションが成立する。

 

この段階での謙遜は、

要らぬ罪悪感を生む存在でしかない。

 

世俗で当たり前とされる常識を疑う。

 

 

 

何も資格を取ること自体が悪いわけではない。

 

好きで、興味があって、どうしてもやってみたいとか、そもそも資格を取ることが趣味だとか、埋めることが目的でなければぜひ楽しんでほしい。

 

でももし足りない何かを埋めることが目的なのだとしたら、根源はそこではないことを知っておくと遠回りは減るのではないかと思う。

 

例え一時的に心安らいだり満たされたりすることがあったとしても、それは永遠ではない。砂の城のように、簡単に消え去ってしまう儚い幻想である。

 

外側の何かで自分を満たせるものはこの世に何一つなく、満たせるものは内側にしかない。

 

それが出来るのは親でも友達でもない、ましてや占い師でもセラピストでもない。

 

ただひとり、

この世にたった一人の自分だけであり、

唯一無二の才能は誰かの作った資格には無く、自分の中に眠っている。

 

 

 

 

 

かたずけのススメ

断捨離が流行りだして早数年。

いろんな方が本を出しているので、読む方によっては今更感があるかもしれない。

 

ただ私自身は断捨離に関する本を読んだことがないので、私の体験談から書こうと思う。

 

 

「すべては自分が選んでいる。」

「目の前の世界は自分が創っている。」

 

そして

「部屋の状態=心の状態を映す鏡。」

 

つまり

部屋を整えられれば心が整い

心が整えば、目の前の世界が変わる。

 

これが大前提である。

 

 

 

断捨離と聞くと何でも捨てると勘違いしている人もいるのだが、決してそうではない。

 

必要なものと

不要なものを

選別するのである。

 

その要不要は人により異なる。

 

例えば私にとって心を豊かにしてくれるものはアロマオイル、キャンドルホルダー、花、ポルシェのミニカー、墨と硯だが、

 

誰かにとってはガラクタでしかない。

 

 

量も人それぞれ。

 

ミニマリストと呼ばれる、限りなく少ないものだけでシンプルに暮らす人と、多くの物を所有することが豊かさだと感じる人もいる。

 

ひとまず量は、

世代により時代背景があるのでさておき、、

 

あなたの身の回りの物は、あなたの心を豊かにしてくれるものに絞られているだろうか。

 

心地よい環境にするためには

必ず「選択」が必要になる。

 

片づけの苦手な方は

捨てることが出来ないのではなく、

選ぶことが苦手なのである。

 

 

それはなぜか。。

 

 

それは感覚が鈍っているから。

 

好きと嫌いすら明確でなく

何かにつけて

どちらでも良いという答えが多い。

 

日頃から

嬉しい♪楽しい♪しあわせ〜♪

悲しい。不愉快。いやだ!

 

というように感情を表現している人は、自分から発せられる感覚に敏感であり、

 

逆に、人にどう見られるかばかりを氣にして感情を抑えてきている人は、感覚が鈍り、自分から発せられる微細なバイブレーションを察知しなくなる。

 

感情を亡き者にしているから、

段々と感覚が麻痺してくるのだ。

 

 

部屋は心、

心とは内なる自分。

 

この世界は

その内なる自分が外側の現象(世界)を創っている。

 

部屋=人生

 

部屋を作るプロセスは

そのまま

人生を創るプロセスなのである。

 

もしもあなたが部屋を心地良い空間に出来ていないのであれば、

 

あなたの目の前の世界も

望んだ世界とは程遠いはず。

 

 

他の誰でもない、

自分にとって心地よい物だけを選ぶことが出来れば、必然的に自分の世界は心地よい世界になる。

 

 

部屋を片付ける際、

 

一つ選ぶたびに、

 

今の自分に必要か、

自分を心地よくしてくれるものかどうかを基準に選ぶ。

 

 

そうやって一つ選ぶたびに、

「自分が心豊かに過ごす空間を作る」

という選択を一つしたことになる。

 

片付けとは、

自分の人生を豊かにする選択をすることであり、

 

一回一回の選択が、

人生を豊かにする練習なのだ。

 

 

不要な物に囲まれていると、それを掃除・管理するだけでもエネルギーを浪費する。

 

その分、本来注ぐべきところへ注ぐエネルギーが無くなってしまう。

 

逆に好きなものだけに囲まれているならば、心を豊かにするだけでなく、物を大切にするようになり無駄遣いもなくなる。

 

そしてこの

使うべきところにエネルギーを注ぐという仕組みは

 

身の回りの物だけでなく、

お金、時間、労力

全てにおいて同じ仕組みであることが体感でき、

 

自分にとって

何が必要で何が要らないのか、

自分がエネルギー(お金、時間、労力)を注ぎたいものが何であるのかが明確になる。

 

そうなったら

人生は豊かにならざるを得ない。

 

 

これを本当に理解できるのは

実行した人だけである。

 

実行していないのなら

それは単なる知識でしかない。

 

知っているだけでは

人生は変わらない。

 

 

あなたはやりますか?

 

 

動く時、止まる時の見極め。

人生には

行動しないといけない時と、

立ち止まらないといけない時がある。

 

 

「止まるべきとき」とは…

 

昼夜関係なくがむしゃらに働き、空いた時間はセミナーや趣味、会社・友人などとの人付き合いなど、持てる全ての時間を使い切りる。

 

つまり、内なる自分との時間を1秒も作らない生き方をしているとき。

 

わざと忙しくしているのだけど

動いているというだけで何かをしている氣になっている。本氣で生きている氣になっているに過ぎない。

 

望み通りの人生でなくて、上手くいってなくても、豊かでなくても、満たされていなくても

 

本当の私はこんなもんじゃないと言い聞かせ、取り繕い誤魔化す。

 

自分を偽らず生きている人や、

世に言う成功者たちの共通点は

現状認識の能力が高いところだ。

 

直視すればイケてない自分を認めなければならなくなる。だからプライドが邪魔をし、ありのままを受け容れることが出来ない。

 

罪悪感や孤独感、嫉妬、怒り、悲しみ…、渦巻く感情の波に飲み込まれそうになるが、「止まる」とは、光だけでなく、自分の闇に光をあてることである。

 

そうすることで感情や観念は自分の中で解けていく。自分に赦せた瞬間に、世界が変わる。

 

動くことばかりに意識を奪われている人にとって最も苦しい体験となるだろうが、それをするだけの価値は充分過ぎるほどある。

 

足らないものを補うためにしてきた行動を止め、要らないもの(観念や行動)を削ぎ落とす。

 

止まるという行動をする。

 

 

 

反対に動くべきときというのは…


やりたいことがあるのに
お金が無い、時間が無い、忙しい、親が、彼が反対する、子どもがかいる、仕事があるからと言い訳を重ね、いたずらに時間だけ過ぎているとき。

 

魂からの望みであれば、嫌でもその方向に向かされる日が来るし、抵抗すればするほど現実は苦しくなってくる。

 

ある経営者の例だが、

昔からやりたいことがあるのに何年も踏み込めず、職場がどんどん大変な状況に追い込まれてきたことで、余計に会社を何とかしなければ!と焦り、周りが見えなくなってきた。

だがある日、後継者に会社を引渡し次への一歩を進み始めた途端、問題は魔法のように片付くどころか、最善の形に変容を遂げた。

 

会社が大変だからできないのではなく、

あなたが動かないから目の前の現象はどんどん悪循環を起こしているのだ。

 

動くべきときに動くことは、人生の滞りを解放し循環が起こる。

 

止まるにしろ、動くにしろ

やるか、やらないか。

 

 

 

今のあなたの人生は

あなが選んできた結果。

 

これからをどんな人生にしたいですか?

どちらを選ぶのも自由です。