蓮花[Hasuhana]blog

日常に溢れる真理。

その資格は何のため?

あなたの持っているその資格、

何のために取ったものだろうか。

 

「始めた動機」

 

ゴールで何が手に入るかはここ肝がになる。

 

もし

「自分にはまだ足りないものがある。

それを埋めるためにこの資格を取らなければ。。」

 

このように不足を埋める、

つまり“自己価値を高めるため”が動機だったなら

 

ゴールは

自己価値の低い自分との対面となる。

 

 

この“足りない”は

誰かと比較するゆえに生まれるもの。

 

自分が◯◯を始めるにはまだ知識・技量など(◯◯さんに比べたら)足りない。

 

しかし、この足りない の

本当の意味は…

知識でも技術でもなく、

 

「満たされない心」を意味している。

 

 

この“足りない”を埋めるがスタートだとすれば、資格を取得したとしても、あれが足りない、これが足りないと際限なく次の資格取得に励むだろう。

 

そして取得した資格を活用出来ない自分にまた絶望する。

 

自己価値の低さを更に上書きすることになる。

 

エゴの罠は巧妙なので、心が満たされていないことに氣づかせないよう

 

技術・知識が足りてないと思い込ませ、資格取得するよう外側に意識を向けさせようとする。

 

罠にはまっている間というのは、不思議なことに満たされていない事実に氣づけないよう、フィルターがかかった状態になる。

 

 

氣づくまで

わからない。

 

 

誰かと比べ「相手を上げる行為は、同時に自分を下げること」にも繋がり兼ねないので、誰かに対して尊敬の念を抱いた時は要注意だ。

 

 

相手は素晴らしい、

そして自分も素晴らしい

 

このベースがあってこそ、真っ当なコミュニケーションが成立する。

 

この段階での謙遜は、

要らぬ罪悪感を生む存在でしかない。

 

世俗で当たり前とされる常識を疑う。

 

 

 

何も資格を取ること自体が悪いわけではない。

 

好きで、興味があって、どうしてもやってみたいとか、そもそも資格を取ることが趣味だとか、埋めることが目的でなければぜひ楽しんでほしい。

 

でももし足りない何かを埋めることが目的なのだとしたら、根源はそこではないことを知っておくと遠回りは減るのではないかと思う。

 

例え一時的に心安らいだり満たされたりすることがあったとしても、それは永遠ではない。砂の城のように、簡単に消え去ってしまう儚い幻想である。

 

外側の何かで自分を満たせるものはこの世に何一つなく、満たせるものは内側にしかない。

 

それが出来るのは親でも友達でもない、ましてや占い師でもセラピストでもない。

 

ただひとり、

この世にたった一人の自分だけであり、

唯一無二の才能は誰かの作った資格には無く、自分の中に眠っている。