蓮花[Hasuhana]blog

日常に溢れる真理。

「自分を愛する」ではまった罠

自分のために、

自分が喜ぶことをしてあげる。

自分の内側は自分で満たす。

 

食べることが大好きで、

美味しい料理を食べることが喜びの私は、

 

折に触れ鉄板焼きのフルコースを食べたり、ホテルのフレンチを食べたり、お金が無くても日頃食べるランチで贅沢する機会を自分に与えていた。

  

食べた瞬間はすごく美味しくて

うれしくて満足する。

 

だが、、、

満たされた感覚はその直後の帰り道で

消えていくことに氣がついた。

 

こんなに贅沢に、食べたいものを食べているのになぜ?私は何が不服で、どうしたら満足する?

 

と疑問に思った。

 

 

その理由は

 

 

大好きな食べることだけど、

 

「こんなに高いコースを自分に与えられている私って凄いでしょ。」

 

起点となる感情がここにあったから。

 

食事ですら

“凄い自分を演出する”外側から満たすための道具にしかなっていなかったのである。

 

さらに…

 

本当はローンがあるため経済的に厳しく、こんな贅沢など出来ない現状。

 

なのに

「こんなに高価なものにポンとお金を払える私ってすごいでしょ」が起点の大きな買い物。

 

お店の人はヨイショする。それが一瞬であっても“私を認めてくれている”と錯覚させる。

 

確かに一瞬満たされる。

でも一瞬で消える。

 

本当に欲しくて買ったわけではない物で満たされるはずもなく、更に窮地においやられていた。

 

我慢の日々。

 

 

高価な食事の数々は、

「本当の私はこういうものが好きで、こういうものが相応しい」と、現実逃避させるものだった。

 

 

自分を愛する行動をしているはずなのに、ちっとも満たされない。

 

目の前の現実は

何も変わらないどころか

益々苦しくなる。

 

私の行動の何が悪いのか分からず

混乱していた。

 

見えてしまえば

こんなに簡単なトリック。

 

 

何もかも上手くまわっていない。

人より抜きん出るものが無く、

仕事も恋愛も苦しいばかり。

 

お金もない、

時間もない、

親孝行もできない、

感謝もできない、

結婚もできない、

“情けない自分”を、

どうしても認めたくなかったのだ。

 

だから息切れするまで頑張って、

時々“ご褒美”という贅沢をさせることで、そんな自分こそが幻だと錯覚させ、

また同じパターンを繰り返す。

 

この事実に目を向け、

絶望するのがこわいのだ。

 

掛けてきた努力と時間

人生のすべてが無駄だったと、

深く深く…立ち直れない程に

絶望してしまうから。

 

だが事実をありのまま認め、

受け容れ、絶望しないから、
意に添わない“そこ”に

縛られたままなのだ。

 

そこに氣がつかない。

 

ただ明らめ受け容れる。

シンプルで、してみれば

何てことない事なのにしない。

 

何もダメではないのに、

自分が勝手にそう思う。

 

それらは幼少期から今日までに無意識に刷り込まれた観念・常識という(エゴ)の仕業。

 

例えば

・私はいま◯◯◯万円の借金がある

・私は無職だ

・私は独身だ

・私は子どもがいる

 

などは、「私は女(男)である」と同等の事実なのだけど、ここにジャッジが入ると事実だけをきちんと見られなくなる。

 

・私はいま借金が◯◯◯万円あるから生活は苦しく、貯金もなく情けない。


・私は仕事が無いから無能で、誰からも認められない。


・私は独身だから、どこか欠陥があり選んでもらえていない。

 

・私は子どもがいるから好きなことが出来ない。

 

と、こうなる。

 

 

【事実+感情=自己否定】

 

しかも責めているのは

自分自身なのである。

 

だから前に進めないし、

万が一進んでも頑張る方向を間違える。

 

評価を変えるために頑張れば、

評価が変わっていない自分に出会う。

 

お金を稼いで凄い人になろうと頑張れば

お金を稼げない自分に出会う。

 

 

「無い」と思っているから

外側に求めるのだが、

 

「無い」と思い込んでいるから、

「無い」が現実世界に起こる。

 

 

思っていることは

そのまま現実になる。

 

引き寄せは「思考」ではなく、

「潜在意識」が起こすもの。

 

だから

肚の底で自己否定しているのなら、どんなに頭で私は素晴らしいと考えても、どんなに素敵なものを買い与えても、罪悪感を引き出す出来事が起こる。(誰かに責められるとか批判されるなど)

 

 

行動を起こす「感情の起点」はどこか。

 

誰かの評価を気にしているなら

歩みを止める。

 

やった先にはこんなことが待ってるかも!?と期待するなら、これもまた歩みを止める。

 

愛は先だしジャンケンなのだから。

出す方が先。

 

これ好き!やりたい!楽しそう!ワクワクする!なら、ただやる。

 

 

 

行動すれば

自分の観念に気づけるだろう。

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観念はいわば積み重ねてきた習慣。

習慣はいくらでも変えられる。

 

その枠は世間が創っていると思わせて、

本当は自分が創っている枠でしかない。

 

善悪が頭に浮かんだら

善悪は幻想だと思い出し、

 

誰に遠慮することなく

“自分がしあわせになる方”を選ぼう。

 

 

それが「自分を愛する」はじまり。