蓮花[Hasuhana]blog

日常に溢れる真理。

怒りの正体

些細なことで父と喧嘩をした。

 

ここのところ急に物忘れが酷くなり、話が上手に噛み合わない。

 

だが普段は腹をたてることはなく笑って過ごしていたはずなのに、なぜか今夜は火がついた。

 

会話で従姉妹の名前を出した際、父はその子が誰なのかピンとこない様子でポカンとしていた。

 

本当に些細なこと。


普段なら「どこそこの誰それだよ〜笑」で終わっているくらいのこと。

 

だが今日はいつもと違う。

イライラが止まらない。

 

自分自身 暴走する口調に
なぜそんなに怒っているのかと思うほど、どこか冷静な自分がいながらも口撃が止まらない。

 

黙っていた父が怒り出し、

お互い一言言い放って喧嘩は終了。

 

 

ここで自分に問いかけが始まる。

 

 

「目の前の問題は問題ではない。

この怒りは何に対する怒りだろう。」

 

すべては投影でしかない。

 

 

私は“父に対して怒ったが、
父に対して怒っているわけではない”。

 

 

本当は何に対して出てきた

怒りなんだろう。。

 

 

 

答えは単純なことだった。

 

 

 

それは
「私自身の老いに対する恐れ」を
見過ごそうとしていたことに対する怒りだった。

 

恐れているのに、
恐れていないフリをしていた。

 

若く見られる方ではあるが、心のどこかで大体お世辞だろうと思っていたし、近くで見ればそれなりの肌だと認識していた。

 

衰えは進行している、だから「人生で最も若い今日の私」を永遠に留めたいと「若さ」にしがみつき悪あがきをしていた。

 

この事実を正面から見て受け入れることが出来ず、今の美しさを失えば自分の価値がなくなってしまうかもしれない、そんな恐怖(幻想)と闘っていた。

 

この恐れのバイブレーションが内側から発せられているのに、亡きものにしようとしていた。

 

私自身から発せられた感情から逃げていたことに向けられた怒りだったのだ。

 

私の中にある

恐れの感情を受け容れないから、

父の老いを受け容れられなかったし、

 

その事実を直視できなかったから、

父の老いを直視できなかったのだ。

 


生と死は3次元の最たる陰陽。

 

私たちは生まれた瞬間から
死に向けて生きるという幻想を信じこまされて生きてきた。

 

だが意識こそが現実であり、

その意識(内側)が目の前の世界を創り出している。


望んだものは必ず実現する。

 

老いへの恐れに抵抗すれば、
そこに執着を持っているから
老いを摑んで離さないのと同じこと。

 

摑んで離さなければ
欲しいと言っているのと同じこと。

思考ではなく、それが叶う。

 

恐れを持っている
そこから目を背けず認めるだけで

自然と解けていく。

 

そして問題は

問題では無かったと氣づく。

 

怒りの正体は

いつも自分の内側に秘めていること。

 

父への怒りは

そんな私の八つ当たり。