蓮花[Hasuhana]blog

日常に溢れる真理。

被害者意識

私はこれまでの人生

いつも〝何か〟や、〝誰か〟のせいにして生きてきた。

 

その自覚がなかった頃もあれば、

何となく頭では〝そうしている〟ことに氣がついている自分も居た。

 

でも今日しっかりと肚におち、

確信してしまった。

 

これは事実だと。

 

 

 

 

私の両親は70代後半。

夜寝るのも早いし、勤勉で真面目。

心配こそ愛情表現と思い、過干渉。

40にもなった娘に帰りが遅いと電話をかけ、休みの日に親族以外の誰かと会えば家を空けることに小言を言う。

朝昼晩きっちり3食食べなければいけないと叱り、、、

挙げればキリがない。

 

この世代にとっては当たり前かもしれないいろんなルールが、私には正直鬱陶しく感じるものばかり。

 

 

好きにさせて。

 

 

放っておいて。

 

 

事情があって去年の夏にひとり暮らしを解消し実家に戻り居候しているのだけど、一度自分のペースや心地よい空間を経験した後の実家は居心地が悪いものだった。

 

 

 

とはいえ、

現実的には助けられているので、

とてもありがたいと思うように

自分に言い聞かせてきた。

 

家賃や光熱費を心配しなくても

雨風凌げる家にあったかいお布団、

朝目が覚めれば出来ている朝ごはん、

あったか〜〜いお風呂に湯たんぽ。

幸せすぎる〜〜!

 

これらは与えられているから

あるのだから、それ位感謝していないと人として問題がある。(と思っていた)

 

でも

私が感じている感情と、

環境を与えられているから感謝することは、まったく別事。

 

ごちゃ混ぜにすると

ややこしくなってしまう。

 

 

実家に戻った当初、

私一人で家2軒分(母屋と離れ)

丸ごと掃除をしまくった。

 

家族がもっと氣持ち良く過ごせるようにと、念入りにみっちりと。

 

そこで起こったのはなぜか喧嘩。

 

年を取り、動くことが億劫な両親にとって、手の届く位置に物が何でもあることが快適であり、使わない物でさえ捨てられない。

 

逆に私は 物は出来るだけ少なく、整理整頓されている空間が快適に感じていたので、ちょっとした物もきちんと片付けたのが裏目に出たらしく、不便だの余計なことをするな!と怒られるのだ。

 

理不尽極まりないとブチ切れて、

そんな日はプチ家出状態で友達の家に泊まったりもした。

 

 

何が言いたいかと言うと、

 

何もかもが違うのだ。

ぜ〜〜んぜん、

まったく!相容れない!

 

快適の概念すら

血の繋がっている両親とでさえ

まったく違う。

 

そう、違うのだ。

 

それなのに何故か

親子なら相容れなければいけない

理解しなければいけない

というルールが私の中にあり、

それを自分にも両親にも無意識に課していた。

 

だから不要な葛藤を生んでいたのだ。

 

そんなことに氣がつかず、

誤魔化し誤魔化し

何となく一緒に暮らしていた不満が

今日爆発した。

 

出先からの帰り、家に帰りたくない強烈な衝動に駆られて涙が出た。

 

なんでこんなに涙が出るほど嫌なのに家に帰ってるんだろう。。

 

帰らない選択はないの?

 

だれも私に強制なんてしてないのに。

 

 

ああ…

こんなになるまで勝手に自分の氣持ちを押し殺して我慢してたんだ。

 

本当はいつだって環境を変えることは出来たはずなのに、そうしなかったのは私だった…。

 

氣づいてみれば

当たり前のことだけど、

 

ここではない

どこかに行きたかった私が

どこにも行けなかったのは、

 

私が行こうとしなかったからなんだという、至って単純な答えにやっと氣がつけた。

 

何も心配しなくて良い環境は

ありがたく、感謝している。

 

でも居心地は悪い。

 

両方が事実。

 

それなら一緒にいなくても良いし、

一緒にいられないからといって

愛してない訳ではない。

 

ちゃんと愛はある。

 

お互いに心地良い空間やペースが違うなら、それを尊重して別々に暮らせば良いだけ。

 

勝手に相手を悪者にして

自己防衛していた。

 

自分がどこにフォーカスしてるかで

見える世界はかわる。